2020年1月8日水曜日

第七回プリズム句会

明けましておめでとうございます。
昨年、ご参加頂きありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。
お問い合わせはブログのフォームでお送りください。

兼題「膝(ひざ)」一句。
投句締切は1月18日(土)23時30分
選句締切は1月22日(水)22時00分
特選一句、並選二句。選評必須です。

2019年12月12日木曜日

第六回プリズム句会

こちら「川柳」の句会です。雑詠一句。
投句締切:12月21日(土)23:30
選句締切:12月25日(水)22:00
選評必須です。
クリスマス真っ盛りですがご参加頂けると嬉しいです。アカウントをお持ちの方なら誰でも参加出来ます。
お問い合わせは下のフォームからお願いいたします。

※設定ミスにより、投句出来ない状態となっていましたが12月12日(木)18時段階で、投句可能となっております。ご迷惑をおかけしました。謹んでお詫び申し上げます。

2019年11月21日木曜日

評について

プリズム句会(歌会)は夏雲システムというネット句会用のシステムを利用したクローズド環境の句会(歌会)です。

選評を必須としていますが、評を書くに当たってのお願い事はひとつだけです。

『モニターの向こう側に、あなたではない「人」がいることを忘れないでください』

結果発表後は「談話室」という掲示板が自動作成されますので、書かれた評についての感想、反論などはそちらで議論しましょう。
よろしくお願いします。

第五回プリズム句会

第五回プリズム句会、本日より投句可能としました。
アカウントをお持ちの方は自由に参加出来ます。
アカウントを持っていらっしゃらない方で、参加を希望される方は下記フォームより問い合わせください。

兼題『売る』一句。選評必須です。

投句締切:11月30日(土)
選句締切:12月4日(水)

2019年11月9日土曜日

特別公開版・プリズム句会 結果発表

2019年10月31日投句締切
2019年11月6日選句締切

既発表作品の投句も有りの、雑詠一句。選評必須としました。

◎:特選(2点) ○:並選(1点) □:選外(0点)


16. アルバムの川もわたしも目をつむる (斎藤秀雄)9点

◎芍薬
アルバムを開いて川を見る。おそらく故郷の見知った川でしょう。
目をつむるとき、どういう理由が考えるだろう?川にまつわる良い思い出をじっくり味わいたいときにうっとりつむる、それとも溺れる等のネガティブで怖い思い出があるときにぎゅっとつむる。
今年は水害が多かったので後者の意味で読みました。氾濫した川、家や人を飲み込んでいく濁流がこれ以上広がっていかないようにアルバムを閉じると同時に自分の瞼で閉じ込める、そんな意志の力を感じました。
五七五で綺麗に整っていてとても読みやすい上に解釈の幅もあり、味わい深い一句です。
◎矢ノ正止
写真アルバムのなかに、川べりで目を閉じたわたしの写真がある。あるいは、行楽に出かけた先なのか、川の写真があり、同じアルバムに、目を閉じたわたしの写真がある。
他にも解釈の可能性は開かれたままになっているが、修辞の流れのままに受け取るなら、とりあえず、そう読むことができる。

「わたしも目をつむる」という文言の自然さが、不思議と「川も……目をつむる」という幾分かねじれのある表現に不可解さを感じさせない。

写真を撮影する時に目をつむってしまうのは避けられるべきことと思われていて、それを避ける工夫もあれこれなされているだろうが、ここでは、たまたま目をつむってしまっていたことを、どこか懐かしみ、良い事として振り返るような感触が流れている。

そうだとして、川が目をつむるとは何だろうか。

写真を撮る時に、不意に目を閉じてしまうような風情を川の様子に感じとっている、という着想も、解釈の可能性を広げるかもしれない。

いずれにせよ、おそらくここでは、見えないはずのものが言葉になっている。

目は、涙に浸されていて、そこには水の流れがある。
川は何かを見ていたりはしないが、多様な水面も、無数の水滴や気泡も、景色を写し込んでいる。
その、現像されない光景を無数に像した豊かな川の流れの全体が流れつつあったことが、カメラによって画像に定着される。

この句は、直接それと示しはしないが、時間と記憶をテーマとしているように思える。

ところで、この句が語るものが写真のアルバムだったとして、それは開かれているのか、閉じられているのか。

いや、あるページが開かれているということは、他のページが閉じられているということなのだ。
アルバムは、つねにどこか閉じられている。
「わたしも目をつむる」という言葉は、アルバムの閉ざされたページに眠るたくさんの像をぼんやりと連想させる。

目をつむった人は、自分の内側に目を向けていて、そこでは、色も広がりもなく、外界の現在に釘付けされない時間が流れている。

カメラの中の小さな暗い部屋と目を閉じたわたしの眼球の中の小さな暗い部屋。
結んだり結ばなかったりする無数の像と、目を閉ざしたことで退けられる無数の像。
目を閉ざすことによって湧き上がる無数の像。
記憶の流れはゆく川の流れであるかのように、急いだり澱んだりする。

この句の少しだけねじれながら何故か淀みのない措辞は、具体的な特定のイメージを強く喚起したりはしないが、静かな時間の感じだけはしっかりとそこに定着されているように思われる。

詠嘆の言葉もなく修辞も論理も比較的平坦なこの句が湛えている情感には、底知れない広がりがあるように感じられる。
◎月波与生
アルバムの川ってなんだろうね。それが目をつむるなんて不思議だね。生まれてからのドラマが綴られているアルバム。そこに写っているドラマは川のようでもある。そして目を瞑らなければならないドラマとはなんだろうか。
〇仁和田  永
モノクロなんでしょうね
〇茉莉亜まり
「わたし」がアルバムの中にいると読んでも、「アルバムの川」を見ている「わたし」と読むにしても、句にノスタルジーが宿っているところが好きでした。「川が目をつむる」としたことで、流れを止め、時も諸々のできごともすべてを孕んでしんとする川の姿に惹かれたのだと思います。
〇御殿山みなみ
「わたし」の目をつむる姿勢とちからで、アルバムの川に目をつむらせることに成功している。
□本間かもせり
両親と川の字になって寝ている幼少の頃の自分の写真を見て、思わず目をつむってしまった様子を思い浮かべた。なぜ目をつむったかわからないけれど、恥ずかしかったらという理由ではなさそうだ。
□あさふろ
氾濫してゆくノスタルジア
□茆菜
閉じたあと川と一緒に良い夢が見られますように。

【作者コメント】
出してから気づきましたが、これだと、「アルバムの写真のなかの川と、写真を見ている私が目をつむる」のか、「アルバムの写真のなかの川と私が、目をつむる」のか、分かりませんね。作者としては前者の意味で書きました。写真のなかの川と、写真のこちら側にいる私が、ともに目をつむる、という意味で。

9. 風船に第二夫人と明記する (芍薬)8点

◎透童つくえ
 書いたのは誰なのでしょう。
 第二夫人(またはそういう立場に置かれている人)?第一夫人?大旦那サマ?執事?
 関係者同士の緊迫した心理戦に、息が詰まりそうです。
 たとえバカバカしいと思っても、己の立場を有利にするためには、やっておくべき策略なのです。
◎御殿山みなみ
いわゆるラブドールではない、風船。けれどそのような印象の基盤。儚く割れそうな第二夫人。第一夫人への証立てかもしれない。
〇セニョール・ベルデ
それを選んだなら内緒でいましょう。自虐は破滅への第一歩です。
〇涅槃girl
この句は拝見したことがありますが、シュールさでは群を抜いているるる!!!
吉田戦車の漫画に、膨らませたフーセンガムに筆で落書きして困らせる謎の人物、というシーンが出てきますが、それを思い起こさせる不条理さといたずら心!!
楽しい一句です!!
〇西鎮
風船を第二夫人としなければならない状況が、色々と浮かんでくる。明記するのだから他者に(もしかしたら本妻に)、その存在をしっかりと明かしておきたいのだろう。そんな生き方の末に、風船は飛んでいったり、萎んだりするのかもしれない。
〇多舵 洋
「余裕」というお題で発表された句であることを知っていますが、お題から離れて見ると、私には別の絵が立ち上がってきます。
夫婦仲の良くない夫のせめてもの悲しい抵抗、というイメージになるのです。
お題と切り離されると別の景色が立ち上がることもあるのですね。
□本間かもせり
第二夫人は風船による空の旅行を事業化しようとしていた。そのための会社"(株)第二夫人"を立ち上げ、ついにテストフライトの日を迎えた。招待した客は、本妻。期待に目を輝かせた本妻は、でっかく企業ロゴが書かれた風船に吊るされて空へと旅立った。それを見送る第二夫人は、かつての風船おじさんのことを考えていた。
□福村 まこと
選に迷った句。明記すると風船には選択の余地がない。
□茆菜
何かがこぼれへんよう割れませんように。
□斎藤秀雄
並選候補でした。風船が第二夫人なのだろうか。それとも書いている作中主体が第二夫人なのだろうか。前者の場合、書いているのは誰か。男が、「こいつ、俺の第二夫人」と決めて、書いているのか(第一夫人は何なのか、気になる)。女なら、それは誰なのだろう。そういえば第一夫人はどこに行ったのか。第一夫人が書いているのかもしれない。一人で妻をしていることが、さみしくて。
□月波与生
面白い。明記は名器の意?

20. バス停で鯨が来たという知らせ (西沢葉火)8点

◎本間かもせり
バスを待っている間に、港に鯨が迷い込んだという話が聞こえてきた。バスに乗るのを止め、坂道を駆け上がり港の見える丘から鯨を探したけど…という景がまず浮かんだ。映画の冒頭のシーンのような、期待に満ちた静けさを感じる。
バス停「に」だったらちょっとした事件だけど、それはそれで見てみたい光景のひとつ。
◎涅槃girl
この句は拝見したことがありますが何度も読んでも「バス停に」ではなく「バス停で」と一文字変えるだけでこんなに余韻と余白が広がるんだ…と胸がきゅんとなります♪
朗らかな天気の中、手持無沙汰でバスを待つ人たちが、不意のアナウンスにはっと胸を突く…
そんな一瞬の情景が映画のようで、たまりませぬ!!
◎茆菜
近くのバス停、大きな広告(新聞紙二枚分)がぐるぐる回るのですがそこに『鯨が来たぞ』とお知らせが回ってきたら嬉しいです。鯨バスでも嬉しいです。
〇芍薬
「で」が効いていると思いました。
「バス停に鯨が来たという知らせ」だったらあまりインパクトがありません。
誰がどんな方法で知らせてくれたのか興味がわきます。
〇透童つくえ
 海岸に来たのか、水族館に来たのか、空にクジラ雲が浮かんでいるのか、ダークカラーのバスの愛称が鯨なのか、具体的なことは読者には明かされません。でも、それだからこそ私は、勝手にいろいろ想像したのだと思います。
 最後に登場した「知らせ」って言葉が、ここではなかなかの策士ぶりを発揮しています。
□福村 まこと
以前に読んだことのある句ですが、「知らせ」のあとの展開を読みたい。
選に迷った句です。
□あさふろ
かつて鯨はねこバスだった
□斎藤秀雄
もしかしたら「バス停に」と迷ったのかもしれない。「バス停に」とすると、「鯨がバス停に」と受け取られかねない、しかし「バス停に知らせ」は来たけれど、鯨はそこでは見えていないのだ、と。「バス停へ」としても同じ。確かに悩ましい。のだけれど、「バス停で」ではよく分からない。いっそのこと「鯨が来たと知らせがめぐるバス停に」とか……どうでしょう。
□月波与生
鯨バス。自分はバス停にいるのか別なところで話をきいているのか。前者の方が面白いが句からは判別できない。

18. 太ももに食い込んでいく春の月 (榎本ユミ)7点

◎セニョール・ベルデ
肉体にこそ魂は宿るのですね。理屈じゃないです。
◎福村 まこと
春の勢いを感じます。受け入れる太ももの弾力を期待しつつ。
〇透童つくえ
 川柳としては、やや表現が弱いと感じます。
 それでも、月と腿に相違だけでなく類似を観て、そこから悲哀やおかしみを引き出そうとしていると思われたので、並選としました。
〇あさふろ
 月光に輝く太ももはエロティック。月は美しいがエロくはない。月は妬いているのかな。
〇西沢葉火
満月にオンナの脚を突っ込んだら抜けなくなった。
夜毎に月は欠け、太ももを締めつけ食い込んでいく。
ところが不思議とオンナは痛がらない。
そうか、おぼろな春の月だから。

エロスです。脚フェチです。ありがとうございます。
□芍薬
月が肉体に食い込むというのが面白いです。窓から見える月あるいは月影が寝ている人のうえに重なってそれを「食い込んでいく」と表現したのかなーと推測します。太ももは漢字で書くと太腿で月が入っていますしね。
ただ「春」と限定するのが正しいかどうか判断がつきませんでした。春の月はどちらかというと朧月っぽく輪郭がぼやけて鋭さのない印象です。でも「冬の月」だとそれはそれでシャープなフォルムであることが自明なのでつまらないかもしれません。難しいです。
□本間かもせり
月はツンデレなのかもしれない。晩秋の月は硬くて鋭い。春の月は柔らかくてぼんやりしている。目一杯デレた月が甘えてくる。春、クールビューティーの仮面を外した夜。
□月波与生
比喩としての春の月がうまく読めなかった。
□多舵 洋
恋をしているのでしょうか。
ぼんやりとした春の月、日々満月に近づき、欠けているところは少なくなっていく。食い込んでいく。甘やかな痛みに捕らえられたままでいたい。

21. バーボンに次の荒野を予約する (おふうちゃん)7点

◎朧
一見すると,もうハードボイルドな世界が出来上がっているように感じます.
バーボンに予約するなんて,すごく格好いい.
でもハードボイルドな人が果たして予約をとるだろうか,と考えだすと迷路に嵌ります.
冷酷なムードを漂わせつつ,バーボンに「荒野をひとつ,明後日十時にお願いします.」と呟いているのを想像すると,笑いがこみあげてくるのです.大好きです.
〇仁和田  永
ローハイドの革の匂いがよぎりました。
〇あさふろ
 (俺が)バーボンに荒野を予約する。AがBにCを予約するというかたち。
 このA、B、Cは入れ替え可能な水準にあるようだ。バーボンが俺に荒野を、バーボンに荒野が俺を、など、どれでも成り立つ気がする。アルコールの力が、現実を幻想に変えてゆく。
 ハードボイルドな雰囲気ではあるが、(俺が)荒野になってゆくアルコール依存症の描写のようだ。
〇福村 まこと
バーボンは禁酒法時代の主役。当時、密造で大儲けした旨味が忘れられない。
〇宮坂変哲
バーボンと言えばアメリカである。そして西部劇。ヒーローは定住者ではない。悪を倒してしまえば、その街に用はないのだから。シェーン・カムバック!冒険者はいつも荒野を目指す。そこには何か魂を呼ぶものがあるに違いない。
〇西沢葉火
バーボン、そして荒野とくれば、これはもう西部劇ですね。

ここは土埃が舞い、根無し草が転がるアメリカ西部の町の酒場。テンガロンハットとブーツを身につけ、腰に拳銃をぶら下げた男が一人、カウンターでバーボンを前に葉巻を吸っている。このショットグラスを飲み干したら、またお尋ね者を捜して賞金稼ぎの旅に出るのだ。

「〜に次の」という言い回しがかっこいいと思います。しかし問題は「予約」という単語があることです。「予約」は西部劇よりも現代劇が似合うと思います。ビジネスマンがホテルのシングルの部屋を予約する感じ。ですからこの句の舞台はアメリカ西部の酒場ではなく、現代日本のビジネスホテルのラウンジバーなのかもしれません。
明日、新しいビジネスを開拓するための商談を控え、密かに決意を固める一人の男。

いずれにせよ、この句はかっこいいのです。ひたすらにかっこいい川柳があったって、いいのです。

BGMはライ・クーダーでお願いします。
□本間かもせり
行き当たりばったりではなく計画的に物事を進めるタイプのようにみえる。それと荒野(あるいはバーボン)とのギャップが面白いけど、たぶんこういう人が成功を掴むのだろう。
□芍薬
「バーボン」も「荒野」も西部劇の世界っぽいです。その取り合わせは別段新鮮ではないのですが「予約する」が面白かったです。荒野を予約するということは決闘を予約することに等しいのかなと考えました。
その場でいちゃもんを付けられて「やるか?」となるのが西部劇の決闘だと思っていたのでわざわざ手続きとして予約してしまうところが面白いです。
□涅槃girl
「バーボン」と「荒野」はいわゆる付き過ぎ、にも思えるのですが、「バーボンと」ではなく「バーボンに」と表現するところがおかしみを誘います!!
荒野を予約すると、無事カウボーイは次の街までたどり着けるのだろうか…謎めいた感じが好みです!!
並選三つなら間違いなく選んでました♪
□透童つくえ
 ウエスタン川柳とか、名画座川柳とか、連作にしても楽しそうですね。
□茆菜
樽(バレル)職人になりたかったうちの夢、予約させて下さい!
バーボンバレルは憧れです。
ポストハーベストでないとうもろこしがいいです。(無理なのでしょうか…)
□多舵 洋
無事に戻って、またバーボンに予約をして欲しいものです。
バーボンがあるからこそ、荒野へ赴くことができるのでしょう。
□月波与生
かっこいい。次の荒野ってなに?

10. 色即是空ずっと廻しているお皿 (茉莉亜まり)5点

◎多舵 洋
空の皿を廻し続けるのは空しい行為であり、しかし廻し続けるのには、細心の注意を払い続けないといけないのだろう。無を存在せしめるために有るもの。
◎おふうちゃん
 素人は意味もわからず朝な夕なに唱えるお経。お経はエンドレスに廻し続けるお皿のようなもの。お経とお皿、全く別物の二物が不思議とつながった。「いつもより多めに唱えております~」
〇榎本ユミ
「色即是空」を初句に持ってきたインパクトで気になった句です。「廻しているお皿」という言葉に、曲芸の皿回しと、回転ずしを想起させられました。前者であれば、皿は皿としての役目をしておらず、確かに仮の姿であるように思う。後者であれば、本来食べられてしかるべきネタが乾いてしまうまでぐるぐる回る様子が想像させられて、それもまたそれが真実の姿ではない、という訴えを感じました。
□透童つくえ
 四字熟語的な言葉って、一旦、完結しちゃってますもんね。
 句の中に取り入れる時はよっぽど上手くやんないと、他の部分が喰われちゃうと思うんですよね。
 ド頭だと特に。
 「禅寺で」はどうかな?とか、いや四文字はマストだから「結跏趺坐」にしようかな?とか、ピッタリくる言葉を探す時間を楽しんでみては如何でしょう。
□本間かもせり
廻しているのは誰なのか。この句の主人公(あるいは作者)が回しているわけではなさそうだ。輪廻という語も思い浮かんだけど、結局誰が?というところが読み切れなかった。
□茆菜
お皿の中心は『無』でしょうか。
□月波与生
川柳で上五が色即是空の句は結構あるので下が肝心。

11. 銭湯とこの銭湯のあいだの樹 (御殿山みなみ)5点

◎斎藤秀雄
冒頭の《銭湯》が多義的で、想像的空間が歪む。ひとつには、単純に「いつも行っている銭湯」のことを《銭湯》と言っていて、それとは別に、目の前に《この銭湯》がある。ということは《あいだの樹》はいま目の前にない。いま目の前にあるのは《この銭湯》なのだから。もうひとつは(こちらの読みを採用したいが)、「銭湯」という概念、一般化された「銭湯というもの」について《銭湯》と言っている。当然、目の前の《この銭湯》は、一般化されえない。たとえばこの世のすべての銭湯が同時に爆破されたら、そのとき《この銭湯》は消えてなくなってしまうが、「銭湯」(という概念)は消えない。《この銭湯》もありふれた、一般的な「銭湯」だから、《この銭湯》であると同時に「銭湯というもの」でもあるのだけれど、そこに同一性はなくて、《この銭湯》を「銭湯というもの」が目に見えないベールのように覆っている。そしてその《あいだ》に《樹》がある。たぶんこの《あいだの樹》は視覚では感受できない。この《樹》は、ことばが意味してしまう位相のズレを隙間として利用して生えているか、あるいはこの「ズレ」そのものであるのだと思う。こうしたことばの性質をうまく使った、現代川柳らしい川柳だと思った。
◎西沢葉火
前に書いてある「銭湯」(A)と、後に書かれた「銭湯」(B)の違い。
まずAは普通名詞の銭湯です。現在、全国に有る銭湯の数は2264軒まで減少してしまったそうです(「全国銭湯リストゆる〜と」より、2019年10月1日現在)が、それらと過去に有った全ての銭湯も含めた「銭湯」がAです。
一方、Bは特定の銭湯を指します。この句の主人公が今いる、一軒の銭湯のことです。this 銭湯、あるいはthe 銭湯とでも言えましょうか。
AとBのあいだの樹。と、この句は言っています。試しに「銭湯、the 銭湯」と並べて書くと、銭湯と銭湯の間にあるのは「the」ということになります。

普段は自宅の風呂に入る主人公だが、今日は気まぐれに近所の銭湯に来てみた。広くて熱めの湯に浸かりながら思い出すのは、子供の頃に家族で通った銭湯のこと。それから学生時代、下宿の近くにあった銭湯。あるいは同棲していた時に恋人と行った銭湯。ほとんどがもう営業を辞め、姿を消してしまった。
窓の外にイチョウの葉が揺れているのが見える。主人公は今ここにいるんだよと、一本の古いイチョウの樹はまるで目印のように手を振って、この銭湯の前に刺さっている。
まるで、定冠詞「the」のように。

とても静かに、身体の芯にしみていくような句だと思います。(勝手に、生きている化石とも呼ばれるイチョウを連想してしまいました。)
〇矢ノ正止
「この銭湯」と述べられると、読み手もその場に固定されてしまう。そして、「この銭湯」の一言によって、最初の「銭湯」が、逆にどの銭湯なのかわからなくなってしまう。そのことによって、他のすべてがぼやけ始める。

「銭湯」とは、今現在ある銭湯なのか、かつてあった銭湯なのか、それとも、銭湯という概念なのか、記された「銭湯」という言葉のことなのか。
わからなくなってしまう。

「銭湯とこの銭湯のあいだ」という、微妙に論理が崩れた文言には、多重露光の写真のような、光景が限定されずに浮遊し始めるような感触がある。

「ここ」に釘付けされた前景と、そこから遊離し始める全景のあいだに置かれる「樹」とは、そうすると、どのような存在なのか。

「樹」というと、やはりひとつの樹木を思わせる。

しかし、はじめの「銭湯」が特定されないことで、「樹」も揺らぎ始める。

というよりも、むしろ、まわりの木々の揺らぐような気配を纏いつつ、さまざまな像を帯びる図式のような存在として、典型であるかのように、映像としては描けない「樹」が像として浮かび上がる。

言語と空間との釣り合わなさを方法としながら、文法の上で単数と複数を区別しない日本語の曖昧さを生かした句だと言えよう。
□本間かもせり
銭湯が同じ町に2軒あって、こちらの銭湯からもう一方の銭湯の煙突とかが見えるのだろう。町には大きな製鉄所があって、仕事を終えた労働者は2軒のどちらかの銭湯で汗を流す。みどりのない殺風景な町だけど、一本だけ立派な木が立っている。町のちょうど真ん中に。
句中二度出てきてくる銭湯の片方だけに指示代名詞がついているところをどう読むか迷ったが、「この銭湯」ではない銭湯のほうが儲かっていそう。
□涅槃girl
好きです!!好きなのですが「この銭湯」の曖昧さと「樹」がちょこっと弱かったかな…
「なんでもない光景をぼんやりと、しかし真顔で言い切る」ような川柳、好みなのですがー♪
□芍薬
二軒の銭湯のあいだにどれほどの距離があるのか分からないし、きっと樹もたくさん生えているだろうと思うのですが作者はたった一本の樹のことを指しているのだろうなと感じました。
銭湯aと銭湯b、日替わりで両方通っているのでしょうか。樹は何かの目印にしているのでしょうか。たとえばこの樹を通り過ぎたらポケットから財布を取り出して小銭を用意する、とか。
□あさふろ
散らし続ける透明な葉を
□茆菜
うろで文通する為の樹やったら嬉しいです!
□月波与生
面白い。銭湯では樹を薪がわりに融通しあっているのだろう。

17. つむじなら吸いとったので大丈夫 (朧)5点

◎あさふろ
 サイクロン方式で吸い取ったとしたら、回転の力によって、逆につむじが増えてゆくんじゃないかなあ。
〇本間かもせり
大丈夫とは何か。つむじを放置して起こり得る危険性とは何か。考えていると台風に思い当たった。台風は吸い取ることはできないので、やはり「大丈夫」と過信しないことが大切なのだろう。
〇芍薬
「大丈夫」という言い切りが恐怖を煽ります。誰に対して何を大丈夫と言い切れるのか、しかも吸い取った……。何かを吸うという行為で思い浮かぶのは「肉吸い」「ネコ吸い」などの妖怪の世界です。この句も浮世離れした危うい洞穴を覗き見た感じで鳥肌が立ちました。
〇おふうちゃん
なんか、妙に安心感のあるところが印象的。
□涅槃girl
いや、私のつむじ返してよ!!「大丈夫」と言い切られても…とツッコミどころ満載の川柳、好物です♪
□福村 まこと
「旋風」なのか「旋毛」なのか判断できませんでした。
□多舵 洋
つむじとは、騒動の中心にあるものか
掃除機で吸いとってきれいに片付けた
「大丈夫」の着地は安定感がある
□茆菜
南半球に行った事がないのですが、つむじは偉大やなぁと改めて思いました。
□斎藤秀雄
並選候補でした。つむじはなんだか渦っぽい。渦は吸い込むものだから、怖いものだ……つむじは怖い。吸い込むものに対抗するには……逆に吸い取ってしまうことだろう……安心・安全。でも吸い取ったあとでも、なんだか怖さが残る。どうすればいいのか。下五が「大丈夫」で終わる句は、よく見かける気がします(気がするだけかもしれませんが)。これは類想というよりも、川柳のテンプレート的なものだと思うので、致命的にNGではないけれども、それでも既視感があって、そこで減点しました。
□月波与生
そう言われても困るけど面白い。

19. 苦虫をずっと甘噛みしています (あさふろ)5点

◎仁和田  永
こんな気分しょっちゅう経験してる気がする。
◎宮坂変哲
よほど大きい苦虫でないと甘噛み出来ないだろう。同時に甘噛みするのだから、苦虫と言いつつも血が出るほど本気で噛み付いているわけではないということだ。これはやはり前戯としての口喧嘩なのだろうか?
〇多舵 洋
苦虫の「苦」と甘噛みの「甘」の正反対のものを組みあわせていますが、両極端なものを二つ表現したものではないところが面白いです
甘噛みする程度の苦み、ならばちょっとした日々のアクセントなのかもしれません。間違えて噛みちぎりませんように。
□芍薬
苦境にいてもどうにかこうにか毎日やり過ごしています、という意味で読みました。「苦」と「甘」が綺麗に対になりすぎていて驚きに欠けるかなという印象です。
□本間かもせり
苦虫を噛み潰さないよう心がけるのはひとつの処世術だと思う。甘噛みはやりすぎというか、逆に怖い。苦と甘の対比が句の軸になっているけれど、要するに両極端ということなのだろう。
□茆菜
すごくよく分かります!!!
時々よく噛みますが。
□斎藤秀雄
うまいと思います。でもやはり〈苦/甘〉という対になる表現から連想されていることが見えているので、詩というよりは、「うまい川柳」という感じがしました。
□月波与生
苦虫が芋虫のような姿にイメージしてしまう不思議。

5. 歯磨きの後の蜜柑のごとき恋 (仁和田  永)4点

◎西鎮
どんな恋か。きっとパートナーがいるのに別の人を好きになった、もしくはの不倫のことだろう。本来、酸っぱくて甘い蜜柑は、歯磨きのあとは少し変な味がするはずだ。そのまま変な味で通り過ぎるのか、程なく口に馴染み、ひと房、またひと房と口に含んで行くことになるのか。歯を磨き直すのはいつのことだろう。
〇茆菜
第七官界彷徨を思い出しました♥
〇榎本ユミ
歯磨き粉はだいたいスース―するような成分が配合されていて、その後に食べるものは大体不味く感じる。檸檬でも葡萄でもなく、蜜柑というところが好きだ。絶妙な甘酸っぱさが恋っぽい。ただ、歯磨きの後ではやはり、美味しくないと思う。甘酸っぱさも消されてしまう恋の悲しみを感じます。
□本間かもせり
なんとも言えない微妙な味。だけどそれがずっと続くわけでもない。やがて馴染んでいく感じは恋というより同棲に似ているかもしれない。
□茉莉亜まり
比喩として実に的確でよくわかると思いましたが、比喩の先に在る人の気配、比喩を超えて展開するドラマの手がかりをもう少し感じられる方が好みかなと思いました。
□透童つくえ
 この句の場合、「ごとき」だと何か、はぐらかされたような、消化不良のような印象を受けます。
 トドメをさしにきて欲しかった。
□御殿山みなみ
いやな味。「ごとき」は断言してもよいのでは。
□おふうちゃん
そのココロは本当の味がわからない。
□月波与生
恋でないほうがよくない?

14. またしてもデイジーの種生みかける (透童つくえ)4点

〇茉莉亜まり
デイジーを白のひなぎくとして読みました。清楚可憐、おだやかを生みだす種をまたしても無難に生もうとする自身へのちいさな危機感、違和感を感じ、好きでした。
〇福村 まこと
「またしても」だから以前にも生みかけたのですね。それでもまた繰り返すのは人の性の哀しみのようです。
〇御殿山みなみ
生み「かける」のが「またしても」。ひたすら寸止めの精神性。もどかしい。
〇斎藤秀雄
《生みかける》ということは、生んでしまうことを、作中主体は回避できたのだろう。《またしても》ということは、これまでに何度もこれを経験している。一度も生まなかったのだろうか。もしそうならどうやって《デイジーの種》だと分かったのだろう。ときどきは回避に失敗して、デイジーが咲き誇ってしまうのだろうか。作中主体がヒトなのか、そうでないのかは分からないけれど、「生む」と述語づけられるものは、たぶんヒトを含めた動物ではないか(3Dプリンターに接続されたAIとかかもしれないけれど)。「生む」と述語づけられるものが、植物の種を生みかけるという不気味さと、《デイジー》という花の可愛らしさのギャップに詩が宿った。
□本間かもせり
「生みかける」のだから未遂で、「またしても」だから何度も繰り返していることなのだろう。デイジーの種が何かの比喩なのか想像できなかったけれど、越えてはいけない一線の向こう側にあるものではないだろうか。そこにたどり着きたくて、でも何度も思いとどまっている。そんな葛藤の様子を想った。
□芍薬
句とは全然関係ないと思うのですが読んだ瞬間、映画『2001年宇宙の旅』のなかでコンピュータHALが故障していきながらも歌った"Daisy, Daisy, Give me your answer do! I'm half crazy, All for the love of you!"が聴こえました。狂気を感じました。

複数回「生みかける」を繰り返しているようですが前回は「生んだ」のでしょうか「生みかけた」のでしょうか、一度も「生んだ」ことはないのでしょうか。とても気になります。
□茆菜
デイジーが一体何なのか!!!
是非生んで欲しいです。
□月波与生
面白い。産み、の方がいいのでは。

2. もみじもみじ刹那に触れたかった赤 (本間かもせり)3点

〇月波与生
もみじもみじは呼びかけ。気がつけば血塗られたような赤い手はもみじのよう。怖い。
〇矢ノ正止
この一句は、赤いもみじに触れてみたいと思ったが、さわれなかった、ということだけを述べているらしい。

ただ、その触れられないもどかしさを歌い上げるような詠嘆の修辞は、もみじを赤いと感じ、その赤さに感じ入った一瞬、句をなしてみたいと思う、その瞬間の動きを出来事として描いているようにも読める。

そうした言葉の裏面には、残響のように、赤という色彩そのものが瞬間という時間の断片に触れたいと感じた、といった、一種抽象的な意味合いが響いている。
赤い色と一体となった語り手が、主客合一し色彩そのものとなったが故に時間から取り残されてしまっていた、そんなふうに。

このような多義性は、単に言葉が足りないが故のことかもしれないが、その言い足りなさは、取り返せない事柄に手を伸ばそうとしてかなわないというもどかしさをそのまま形にしているようにも受け取れる。

もみじが赤いというありふれた経験は、手前にありながら触れ得ない。それを言葉にしてしまえばとり逃す。そういうためらいを、ためらいのままに句にしているかのようでもある。

とはいえ、もみじを前にしてためらうままに嘆息するしかないと言わんばかりの、もみじもみじと繰り返す詠嘆は、むしろ雄弁すぎるようにも思われ、詠嘆することへの疑いのなさは、この句の弱点でもあるように感じられる。
〇宮坂変哲
「紅葉」ではなく「もみじ」。小さな小さな手。まだ幼かったころの初恋。恥ずかしくて手をつなげなかった帰り道。
□透童つくえ
 「もみじもみじ」とひらがなで重ねることによって生まれる、プリミティヴな呪文。
 でも、最後の「赤」は、オーヴァーキルだと感じました。
 「もみじもみじ」だけで充分、読者の脳裏には「赤」が広がってると思いますよ。
□多舵 洋
もみじは、手のひらの形にも似ています
散ってしまった紅葉、触れることの出来なかった手のひら
赤い幻を残して
□茆菜
はらふりへりほり、一瞬とその後が散る様です。

6. 行き暮れて乳頭しゃぶる密航者 (福村 まこと)3点

◎榎本ユミ
乳頭をしゃぶるのは大人ではなく、よちよち歩きほどの赤ん坊と読みました。行き場をなくして船で危険な海に出る、本人には深い事情はわからずに親とその国の事情で密航をせざるを得なかった。日が暮れてしまい途方に暮れた中で、母の乳房を口に含む無垢な赤ん坊の姿を想像させられ、しんみりとさせられる句だと思います。
〇西鎮
旅の途中、つまりは密航の途中で日が暮れる。しゃぶっている乳頭は、誰のものなのか。同じく密航者である妻や恋人なのか、それとも…
全く別の景として見えたのは、家族での密航における嬰児の姿だった。母の胸に抱かれる彼もまた、小さくとも密航者に他ならない。何処か残酷である。
□本間かもせり
乳飲み子を連れた密航者だろうか。などと考えながらネットを見ていたら大人用おしゃぶりというのを見つけた。世の中にはまだまだ自分の知らない世界があるなどと考えていた。そういう考え事をしていると、気がつけばすっかり暮れてしまっていたりする。
乳頭は日常ではあまり使わない表現で、その分新鮮味を感じた。
□多舵 洋
隠れている者が、隠れてすることは限られている、ということなのか
□月波与生
乳頭しゃぶる必要性はあるか?

15. 永遠と誤読をされるガラス玉 (多舵 洋)3点

◎茉莉亜まり
永遠から誤読へのことば運びの落差と、永遠と誤読をされる主が透明、硬質だけれど一瞬にして木っ端微塵となるガラス玉だという危機感が好きでした。「永遠」「ガラス」という、平易でうつくしい詩のことばに「誤読」を用いてあらたな関係性を創り上げた感性に独創性を感じ、特選に選ばせていただきました。
〇茆菜
ほんまはなんの鉱物(目玉)なのでしょう。
時間で間違いも本当になるかもしれません。
□芍薬
どんな大きさのガラス玉なのか明記されていないので推測ですが占い師が使う水晶玉の廉価版かなと思いました。
適当に工場で大量生産されたガラス玉を使っての占いならば誤読も納得です。胡散臭さを出しつつもガラス玉の透明感が最後まで力を発揮しており、不思議とすっきりした読後感がありました。
□本間かもせり
形あるものは永遠ではないが、ガラス玉はその例外のような印象を受けてしまう。そうは言っても壊れるときは壊れるもの。
「誤読を」の"を"が読みを妨げているような印象を受けた。
□斎藤秀雄
「延々と」を変換ミスしたのか、「ガラス玉を『えいえん』と読み間違える」と言いたいのか、判断ができませんでした。
□月波与生
誤読をされなければガラス球の正体は?

3. 札束を踏み台にして首を吊る (涅槃girl)2点

〇月波与生
札束という不安定な踏み台に乗っている。札束、あんなにあったのにあっという間に消えちゃって、縊死。
〇セニョール・ベルデ
最期くらいは贅沢にね。あと先なんて考えちゃダメ!
□本間かもせり
首を吊った知人のことを考えた。仮に足元に札束があったとしたらどうだったのだろう。この句の主人公は、金で手に入れられるものには不自由はないけれど、そうでないものは何も手に入らなかったことを悲観したのかもしれない。
□芍薬
札束のサイズを考えると一束(百万円)では無理ですよね。踏み台として使うならせめて(誘拐事件のドラマで身代金を用意するシーンに出てくるような)アタッシェケースに詰めたときの半分くらいの面積がないと。高さも必要ですし。
こんなやり方で自殺する背景としてはなんらかの犯罪で不正に大金を入手したのかなあ、とかいろいろ考えました。
□透童つくえ
 「踏み台」という言葉のチョイスが最適だったか否か。
 踏み台に付随する「犠牲にする」というようなニュアンスが、ここではノイズとして作用してしまってるんじゃないかと思います。
□福村 まこと
どのような状況なのか心情なのか考えましたが、至りませんでした。
□多舵 洋
身にそぐわない大金があっても持て余し、破滅の道へ進む
贅沢で無駄な、それだけに切羽詰まった首の釣り方である
□斎藤秀雄
よくインチキ広告に、札束まみれの風呂に美女をはべらせた男の写真があるけれど、あれのすごく不幸なバージョンなのだろうか。金はあるけど死にたいんだ、と。それでも金はある、と自己呈示したいという業。不謹慎だけど、首を吊るというシリアスな場面の、足元に札束が積まれている映像は、シュールで笑いそうになる。

4. 雨あめり雲くもり晴れ 月つきり (矢ノ正止)2点

〇朧
音読すると,とても気持ちが良くて何度も繰り返してしまいます.
晴れにだけ「+り」の法則が働かないことの意味が解釈できていないのですが,それが「晴れ」ということなのかなとも思います.
「晴れ」と「月」の間の半角スペースは,昼から夜になる時間の流れを表しているのでしょうか.
ゆったりとして,不思議な感覚になる句です.
〇おふうちゃん
「くもり」があるのに「あめり」とか「つきり」という言葉はない。とっても面白いところに目を付けられたと思う。以後「あめった」とか「つきった」とか面白く使えそう。晴れを何とかしたくても字数が足りなかったかな? 声に出して読んでみてもとても面白い。
□芍薬
「月つきり」が「付きっ切り」に読めてユニークでした。
□本間かもせり
雨上がりの夜、雲間から月が徐々に見えだした様子と読んだ。月の前にあるスペースが一字あけなのかどうか判断がつかないが、仮に一字あけだとしたら月をより強調したいという意図だと思う。音声化するときにここに一拍置きたい感覚は理解できるけど、反面雨、雲、晴の流れが切れてしまうようにも感じる。
□福村 まこと
リズムはおもしろいが、「晴れ」だけは何もなし?
□茆菜
雨あめり がとても好きです。
□斎藤秀雄
文字列のなかの、ひらがなに開かれた(動詞化された)語のうち、「くもり」だけはそのまま名詞(というか動詞の連用形)として通用してしまうところに、なんとも言えない可笑しみを感じた。どうして《あめり》《つきり》は許されないのだろう。一点、《月》の前の半角スペースの曖昧さが気になった。全角スペースのつもりで挿入されたのか、たんに意図せず紛れ込んでしまったのか、判断ができなかった。個人的には、ここに空白は不要なように思う。
□月波与生
言葉遊びなんでしょうか。それ以上の広がりを感じませんでした。

13. 慰安婦像の恥骨にクソリプが溜まる (月波与生)2点

〇朧
「慰安婦像」「恥骨」そして「クソリプ」,強い言葉が並べられています.
恥骨の形状を改めて調べたのですが,物が溜まるようにはできていません.
「恥骨」という部分,文字に意味があるのだと考えました.
「恥」という文字が「慰安婦像」と「クソリプ」のどちらにかかるのか,もしくはどちらにもかかるのか.どの解釈をするかによって,見える景色が違ってくる句だと思いました.
〇涅槃girl
お見事な時事吟!!「慰安婦象」に向けられた「クソリプ」が「恥骨」に溜まるとは!!
歴史には様々な解釈がありますが、明らかな暴言がはびこるさまにはうんざりしてしまうこともあり!
表現の自由/不自由に思いを馳せてしまいます……
□芍薬
すごい句ですね!「クソリプ」はSNS上ではよく使う言葉ですが、川柳という詩歌の世界観にフィットするかどうか自分の中で自信が持てませんでした。銅像の恥骨付近はたしかに埃とか落葉とかがたまりそうだなと思います。
□矢ノ正止
この句の欠点は「クソリプ」という言葉で満足してしまったところにあると思う。

クソリプという言葉は、一般に、ネット上でのやり取りで、軽率で的外れであるだけに類型的になってしまっている応答の様子を示す用語である一方で、一種の罵倒語としても使われていて、気に入らない発言を退けるための捨て台詞としてよく見かけるものだ。
たとえそれがいかに真摯で有意義な発言であっても、受け手が気に入らないのなら耳を傾けなくても良い。
「クソリプ」とは、そのような態度を正当化するために便利に使われてしまっている言葉でもある。

あるいは、これが、政治的な立場を明らかにすることを強いるような状況に巻き込まれるのはごめんだという気持ちから作られた一句だったとして、そういう思いを表現することにも意義はあるだろう。
そのために、一方では、政治的な偶像を転倒させ、他方では、偶像に浴びせられる暴言を揶揄し貶める。
そういう仕方で、耐えがたい状況の耐えがたさを描くような風刺に訴えるというのも、状況から身を守るひとつの方法かもしれない。

しかし、この句は、表現の自由を巡って政治的な対立が先鋭化し耳目を集めた状況を前にして、「クソリプが溜まる」としか叙述しないことで、政治的な対立のさなかに対話の可能性が模索された事実もあったことを黙殺し、そうした努力をも貶めてしまいかねない意味内容を漂わせてしまっている。

そこで「クソリプ」と言い放つ主体は、性急に押し寄せる言葉が隠し持っているかもしれない価値に目を向ける必要など意に介さず、審判する権能が自らにあると信じて疑わない。
そのような主体に事態を代表させて憚らない怠惰こそが「クソリプ」という言葉を許している。

「クソリプ」という言葉自体を価値転倒しその意味あいを変貌させてみせてくれたなら魅力を感じたかもしれないが、この句にそのような仕掛けを見出すことはできなかった。
□本間かもせり
慰安婦像について興味深いのは、慰安婦問題に対するいずれの立場からもシンボルとして存在していることである。だから、日本でも韓国でも、どこに置くとか置かないとかで大騒ぎになる。それはそれで重要なことだけど、語られるべきは像よりも元慰安婦についてではないだろうか、などとふと考える。その意味では、慰安婦像に溜まるのはだいたいクソリプと言って差し支えないのだろう。
□福村 まこと
「クソリプ」を検索して意味がわかりましたが、句姿に馴染めません。
□御殿山みなみ
字面のネガティブな暗示も統一されている。倒置すれば定型で決まるが。
□多舵 洋
表現の自由はどこまで自由、なのだろう。
クソリプに「溜まる」という言葉は合わないように思える。意味は通るのだが。
【作者コメント】
直裁的で生臭い表現は川柳としてどう読まれるだろうか?

1. 振替る貸しと借りとのぐにゃりの間(かん) (茆菜)1点

〇斎藤秀雄
ここで《貸し》《借り》は、複式簿記の「貸方」「借方」のことと読んだ。ある勘定項目から別の勘定項目に金額を移すことを《振替》という。《振替》が生じるとき、いわゆる「仕訳」では、貸方と借方にそれぞれ勘定科目と金額を書き込むだけなのだけれど、仕訳をすると、同時に貸借対照表または損益計算書の貸方・借方の金額が、ヌルッと変わる。ヌルッと変わるのに、貸借対照表も損益計算書も、最終的に(期末には)貸方と借方の金額が同一になる。この「ヌルッ」という感じが《ぐにゃり》で、期末までの期間が《間》なのだろうか(時間的に把握された間)。それとも貸方と借方のあいだの壁みたいなものが《間》なのだろうか(空間的に把握された間)。いずれのばあいでも、仕訳の作業をするときに目に見えないところで、動いたり、時間差で同じになったりする数字の不思議さ、不気味さを言い当てていると思う。「間のぐにゃり」でも意味は同じになるけれど、《間》そのものがぐにゃりとしているのだ、という感じが、《ぐにゃりの間》から伝わってくる。
□月波与生
何をいいたいのかよくわかりませんでした。
□本間かもせり
個人的な金銭の貸し借りの話なのか、それとも会社の経理の話なのか。いずれにしても自転車操業のような危うさのようだ。ぐにゃりという語に強引さを感じた。強引なのが良い。
□福村 まこと
「間」を「かん」にして下六にした意図はなんでしょう。「ま」ではだめですか。「ぐにゃり」は面白い。
□御殿山みなみ
固さから軟らかさへ。振替る、がやや難しいか。
□多舵 洋
貸しと借りの立場が逆転した
その互いの心理的距離がぐにゃりと歪む
すっきりと収まらない心証は下六の字余りで表される

7. 煙突の錆が上書きするロマン (西鎮)1点

〇本間かもせり
この煙突は工場かそれとも銭湯か。人間の皺が時折年輪に例えられるように、錆も成長の記録だとすれば、日々アップデートされているのだろう。上書きとはそういうことではないだろうか。
□透童つくえ
 ロマンという言葉が、コミカルに響いてしまって、この句が本田博太郎さんの声で脳内再生されています。
□福村 まこと
煙突の錆は不要でいずれ落されるもの。その錆が上書きするロマンの儚さでしょうか。
□芍薬
経年劣化を「上書き」としたのがポジティブに感じました。
□多舵 洋
上書き、がいいですね
錆びついていく煙突から、別のロマンが現れてくると思います
□茆菜
トマソンで煙突上から魚眼レンズで撮った写真があるのですが、
確かに錆はロマン上書きです。
□月波与生
わかるようなわからなさ。ロマンというぼんやりした言葉より具象の方がいいのでは。

8. 想い出に火災保険が値札つけ (セニョール・ベルデ)0点

□本間かもせり
実景なのだろうか。プライスレスという語が頭に浮かぶけれど、現実は現実で処理していかなければならないものもある。サラリーマン川柳っぽい内容だけど、句のテイストはむしろ古川柳に近いものを感じた。
□多舵 洋
本当は値段のつけられないものが「値札」という数字で評価されてしまう、むなしさ
しかし保険に入っておけば別の希望があるのかもしれない
□茆菜
お辛い心境です。高値をつけて欲しいです。
□月波与生
火災保険の、じゃないの?

12. ともだちにもう戻れない夏休み (宮坂変哲)0点

□本間かもせり
ともだちだったはずなのにいつの間にか恋愛感情が芽生え、告白したけれど上手くいかなかったという景として読んだが、この句の主体が告白した側なのかされた側なのか、ともだちに戻りたいと考えるのは告白された側なのだろうけど、この句は告白した側の後悔とも感じられる。
□おふうちゃん
ああ、とおーい昔にそんなことがあったようななかったような。
□月波与生
冬休みに友だちに戻る
□茆菜
夏休みに何があったのでしょう…。
悲しくなければよいです。

【総評】

「評」をすることで「読み」の勉強になります。ありがとうございました。(福村 まこと)

 今回は、特別公開版ということで、川柳未経験の方も意識して、「川柳は人間を詠む」というベースに立ち返って選びました。
 もちろん、所謂、人間味のある句だけではなく、技巧を極めることも、攻めた表現をすることも、広い意味では人間臭い行為ではあります。
 ですので、もう一つ、「必然性」という観点からも見ることにしました。
 この言葉じゃなきゃダメなんだ、という説得力が感じられるかどうか、です。
 ただ、川柳用語でいう、「動く」という基準も、当然、選者によって違いますけどね。(透童つくえ)

面白い句が多かった反面読み切れなかった句もいくつかありました。読み手の読解力もありますが、読めないことには伝わらないわけで誤読でも解釈できる程度の手がかりは書いてほしいな、と思いました。(月波与生)

2019年11月1日金曜日

第四回プリズム句会のお知らせ

第四回プリズム句会のお知らせです。こちら、夏雲システムを利用したクローズドのネット川柳句会です。雑詠一句。未発表作でお願いいたします。
選評必須。
投句締切は11月10日(日)23:30
選句締切は11月15日(金)22:30
選句期間を長めにとりました。アカウントお持ちの方はどなたでも参加できます。
参加を希望される方、お問い合わせは下のフォームからお願いします。

2019年10月22日火曜日

野球短歌PDF置き場

2019年10月10日に発行した野球短歌ネプリ『短歌を野球に連れてって!』のPDF置き場です。野球をテーマにした連作とエッセイをお楽しみください。
『短歌を野球に連れてって!』
【参加者】
笛 地 静 恵
キ ク ハ ラ シ ヨ ウ ゴ
宮 本 背 水
雀 來 豆
ま つ た く
大 橋 春 人
岡 田 奈 紀 佐
谷 じ ゃ こ
岡 内 祐 治
有 無 谷 六 次 元
貝 澤 駿 一
西 鎮
小 野 田 光
ベ ル デ
石 畑 由 紀 子
傘 下
榎 本 ユ ミ
佐 藤 博 之
( 企 画 ・ 海 月 た だ よ う )